ファン・クラブ

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U.ファン・クラブ

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2008/08/08

 『 じゃ ” イ っちゃん ”、そう言うことだからさひとつ、堪えてよ 』

直属の上司である生産部長からそう言われた 一木 聡 は内心、” またか ” と舌打ちした。複数ラインのリ−ダ−として部下に下した指示の反論が、自分を通り越して

頭ごなしに鉄砲水となって降りかかった。

『 いや、それではウチの品質を確保出来ませんし、その為の指示であったわけで・・だ 』

『 わかるわかる! でもね、” お客さんの論理 ” もこれ又、大事なんじゃないの?』

[ ナニが ” 客の論理 ” だ。ムチャクチャな納期に合わせる為に、どれだけの間接費が掛かるかは、アンタだって良く分かっているじゃないか、クソッタレが!]

『 そうやった結果、この間だって返品の山でしたよ・・・』

 一木は、前期に行った強行軍を穿り出した。顧客の無理な要求に応える為、ラインを昼夜兼行で フル回転させたのだ。勿論、一木は責任者として不本意であった。

無理が祟って、品質上のミスが連発したのだ。一部には、体調を崩した社員も居た。しかし、それらの現実は、当面の入荷の見通しの立った顧客からの表向きの労いと、

天井知らずに支払われる残業手当で潤う、多くの若手社員達の歓喜の声に掻き消されたのであった。体調を崩した者達の殆どは、一木の意を汲んで品質の確保に

躍起となった者であった。それが、一木にはやりきれなかった。

 事実、全てが円満に収まったかに見えたのは初めの内だけで、後に不具合の後始末に忙殺され、他の製品のシフトに大きな影響を与えたのである。

そう言う時に限って、最終判断を下した者は知らぬ顔を決め込む。” 皆、頑張った。これは、不幸にして起こった事故なのだ ”、と被害者を装う。当然ながらその損失は、

真綿で首を絞めるが如くジリジリと社の経営を圧迫した。その張本人を前にして、今回の一木は退かなかった。

 『 君の言いたい ” 理想 ” も分かるよ。でもさ・・ 』

『 理想じゃありません、” 信用 ” の問題ですよ。無理に無理を重ねた結果、最終的にそのツケを払わされるのは我々、社員じゃありませんか。” 対策費 ” が嵩んだ

のを言い訳に、暮れのボ−ナスだって減額されてんですよ、こっちは! それにね、部下に下した指示への反論がどうして、上司の部長から来るんですか!!』

抑えようとすればする程、一木のボルテ−ジは上がって行った。

 『 ・・・相変わらず強硬な物言いだね、君はァ 』

一木の繰り出す怒濤の正論に気圧され、旗色の悪くなった部長は自らの薄くなった頭を撫でた。

『 それは、君が心配する事じゃあないよ。そんなに品質が心配ならね、現場が好きな君には申し訳ないけど、こっちだって別の選択肢を考えなきゃならん様になるよ?

 後だって詰まってるんだ 』

『 それは ” 脅し ” ですか?』

『 そんな君、人聞きの悪い・・・本懐を全うさせてやろうか?、と言っている 』

『 やってみろっ!!』

現場の喧噪を掻き消し、一木の声はフロア中に響き渡った。皆が聞き耳を立てているのが分かる。しかし、そんな事はどうでも良かった。

叩き付けたキャップを拾い歩き出した一木は、付いたホコリを払いながら振り返った。動揺した上司は、子飼いの班長達に声を掛けていた。

 

 決済の無い退社届けを上司の机に放り投げながら、一木 は帰り支度を始めた。

『 一木 さん・・・』

フロアを出るまでに、何人ものシンパが声を掛けた。歯を見せぬ笑顔で、一木 はそれらを遮る。駐車場でクルマのドアを開ける頃には、携帯へのメ−ルが 10 件を超えた。

 

[ まま、課長、取り敢えずはアタマ冷やして下さい! ( ^ _ ^ ) v ]

[ ハゲったら、あの言い草はないですよ。何の為に課長が・・・ ]

[ 戻って来ますよね? 課長・・・ ]

 

『・・・・』

一木 は取り敢えず [ 心配するな ]、とそれらに返信する。

仕事上の問題ではあるが、ここまで拗れるのには一木自身、それ以外の伏線があった。四十も折り返しだと言うのに、世に言う ” 不惑 ” とはほど遠い状態に一木は在った。

家庭の事を含め自分自身 ” これで良いのか? ”、との思いの数々に急かされていたのである。

 妻との間に、子は居ない。

出来なかったのではなく、作らなかったのだ。互いに長男・長女であったにもかかわらず、実家をサッサと下の兄弟に明け渡し、良い歳になるまで勝手気ままな暮らしを選んだ。

その兄弟達が子沢山であったのを良い事に、本来なら一番、脂の乗りきった旬の時季を、それぞれが親としての ” 疑似体験 ” に費やしてしまったのである。

それがいつしか ” 自分達には必要無い ” 、と錯覚を生み、” そんなものには頼りたくない ”、との傲慢さへと繋がって行った。

傲慢さはエゴを増長させ一木 夫婦は、互いを一切を省みない同居人と成り果てたのであった。

 次第に物事が長続きしなくなり、すぐに全てが見通せる気になり味気なくなっていた。

パッションは瞬く間に消え失せ、それにのめり込んでいる自分が滑稽に映った。最近では天気だと言うのに、あれほど好きだった渓流釣りからも足が遠のき、家に籠もる日が

多くなった。知ってか知らずか、そんな一木を気にもとめない妻は、己の用事へと出掛けて行く。そう思う一木 自身、今の妻の気持ちなど考えた事も無かった。

[ 人はこうやって、精神のバランスを崩して行くのかも知れんな・・・ ]

それらのモヤモヤと鬱積した物が、今日の一件で一気に吹き出したのである。そう言う意味では、上司である部長は犠牲者だ。彼に能力が無いのは、分かっている。

それを哀れんでいる普段の余裕すらも、今の一木 は失っていたのであった。

 一木 はカ−・ナビの HDD 内を検索し、発売と同時に手に入れた ” 水澤 瞳 − ベスト・アルバム ” を全曲、引っ張り出した。” 再生 ” ボタンの前で、指が止まる。

引退後から 5 年を経ても尚、人気の衰えない 水澤 瞳 を惜しみ満を持して発売された ” ベスト ” であった。癒され縋り付きたい反面、

[ こんな所でクサっている今のお前に、それを聴く資格があるのか?]

” 水澤 瞳/ファン クラブ−東京支部長 ” として青春の大部分を費やしていた頃、その頃のもう一人の自分が、助手席から語りかけた。

[ ないよ・・・]

ほどなくして携帯に、一木 を心配した部下達から ” 慰労会 ” への誘いが入った。

 

 『 ささ、” タコ ” の事は忘れて、パアァ〜っと行きましょう、課長!』

『 おいおい・・・こんな所まで来て、 ” 課長 ” もないだろうよ・・・』

週末だというのに客足のまばらなフィリピン・パブの一角で、一木 と部下達は酎ハイを啜っていた。隣にドッカと腰掛けた ” 自称:ダンサ− ” が、辿々しく怪しい日本語で

訊ねる。

『 コチラ、” シャッチョ〜 ” さんデスカ? ハイ、” ア〜〜ン ”』

チ−ズ・ビスケットの上に梅肉を載せたダンサ−は、有無を言わせずそれを男の口に押し込んだ。

『 ハハハハハっ!、社長じゃ・・・ないよ。けどな・・・強ぇんだぞこの人は!!』

『 いいよ吉田、そんなこたァ 』

既にメ−トルの上がっている部下の吉田は、それでも収まりがつかない。

 『 自分っ、アッタマ来てんですよ、あのタコには!』

『・・・』

『 だってぇ、そうでしょうがぁ!・・・課長はね・・・・いいですか? 聞いてます? 俺たちのぉ、いや会社の為を思ってこそ、ああ言ったんですよ、ね?』

[ そうだ!]

皆が同調する。

『 いや、俺もな・・・大人げなかったと思ってるよ 』

『 そんなっ・・・課長がそんなことを言っちゃ ダ・メ・な・ん・で・すっ! 課長はぁ・・・』

一木 は、泣き出した吉田の頭を抱えた。

『 ホラ、泣くな。お前が泣いてどうする。でもな、嬉しかったよ。みんな、今日は有り難うな 』

酔いも手伝って、他の若手も泣き出した。

『 確かにな、ああ言った要求だってこなさなきゃ、ウチは成り立たないんだ。俺にだって、そんな事は分かる。でも、抑えられなかった。

 お前等を前にしてなんだけど、” 若気の至り ” って事で勘弁してくれ・・・ってオイオイ、今日は俺を慰労してくれるんじゃないのか? そんな湿っぽくてどうすんだよ 』

『 ・・・スイぁセぇン 』

通夜の様な慰労会は続いた。

 『 さあさあ、楽しく行こうぜ。君、名前は?』

一木 は、隣でポカンとしている ” ダンサ− ” のネ−ムプレ−トを見た。読めた通りに口にする。

『 み、” ミンディ ”?』

『 ちがうヨ、” シンディ ” よぉ、ナマエ!』

『 あ、ごめん ごめん、字がそのぉ・・・アバウトなんでさ、そう読めちゃったんだ 』

『 ” ミンディ ”って、どこの国の人ですか、課長っ!』

復活した吉田ががなり立てる。

『 分からんぞ? 世界は広いんだ。どこかに居るかもしれんだろ・・・ ” ミンディ ” が 』

皆がドッと沸いた。

[ よしよし ]

一木 はホッとした。

『 じゃあさ シンディ、何か一曲歌ってくれないか 』

『 うたぁ? イイネぇ〜! なにをぉいれる?』

『 そうだな・・・じゃあテレサ・テンの、 ” つぐない ”。知ってる?』

[ そうだっ!つぐなってぇぇ〜っ ]

『 ハハハ、吉田っ、もういいから!』

いつもながら、何とかして場を持ち直させた一木 であった。フィリピ−ナに ” つぐない ” を歌わせたところで、何が解決する訳でもない。もしかして、何かに

償わなければならないのは、自分なのではないか? そして、そうして彼等の世話を焼きながらも現実から逃げ続け、救われている自分が居る。

それでもいい。そう、一木 は思った。

 

 週が明け、一木は何事もなかったかの様に出社した。

あの後、粋がってはみたものの早々に音を上げた生産部長は、一木との間を取り持ってくれる様、常務に泣きついた。大学が同窓であり、一木に何かと

目を掛けてくれた常務が動くとあっては、折れぬ訳にはいかない。一木は説得に応じた、フリをした。いや、一木自身にもう、戦い続ける気力が無い。

以前の様に、己の信念を貫き通す行動も、今となっては茶番に思えた。” どうでもよい ”、これが偽らざる本心だった。

[ それでいいさ ]

形ばかり部長に詫びた。ホッとした部長は喜んで受け入れ、いつものC調に返った。

 社食は、喧噪に包まれていた。

皆、” 食べる ” という本来の目的からは目を逸らせ、味わう価値のない総菜を口に運びながらそれぞれにさえずっていた。上の手では、観る者も居れば、

観ない者からしたら景色でしかないテレビが、騒がしさに拍車を掛けている。一木も構成要素のひとつとして、ボンヤリとその中に溶け込んでいた。

 一木の席とは反対側のフロアが、俄に騒がしくなった。上の手に固まった幹部達は、口を動かしながら眉をしかめる。

騒ぎの中心人物は席を立ち、バタバタと掛けだした。食事を口いっぱいに頬張りながら、耳に付けたイヤホンと繋がった携帯を持ったまま走る。

喧噪がざわめきに変わり、皆が彼を目で追った。幹部達の前に来た彼は、携帯を指差しながら必死に何かを訴えている。喋る度に口から中身が

飛び散るので、すぐ目の前の幹部は盆を手で覆った。訴えが終わると彼は、胸の辺りを拳で叩きながら更に前方へと走った。衆目を一身に集めながら

テレビまで辿り着くと、リモコンを手にチャンネルを替えボリュウムを上げた。

 

[ えぇ・・もう一度、お伝えします。

俳優の嶋 邦彦さん、本名 嶋木 邦彦さんと、平成 16 年に引退した歌手の水澤 瞳さん、本名 嶋木 仁美さんご夫妻の長女、祥子ちゃん 6 歳が、

何者かに誘拐された模様です。後 5 分少々で、捜査本部が設置された警視庁で記者会見が行われる予定ですが、ここまでの経緯を説明致しますと・・

ハイ、始まりますか? 捜査本部前に居る、佐々木さぁん? ]

 

[ いいですか?・・・いい?

ハイ、こちら捜査本部前です。記者会見を前に、本部前は非常に慌ただしくなって参りました。今回、犯行の凶悪性にも増して、マスコミ各社に対して犯人側が

それを公表すると言った前代未聞の出来事に、捜査本部は基より現場は騒然としています。しかも犯人側は、ネット上の ” Blog ” に ” 今日の祥子ちゃん ”

と称して、攫われた祥子ちゃんの様子を載せたのです。ここで一旦、スタジオにお返しします ]

 

[ ハイ。実は、わたくし共を含めた民放・マスコミ各社と NHK に対し昨夜、E-mail による犯行声明が寄せられました。

わたくし共は、事実確認を急ぎました。これが、問題の Blog です。調査の結果、嶋木さんご夫妻の長女、祥子ちゃんに間違いない事を確認致しました。

あ、会見が始まる模様です ]

 

一木は、味噌汁の椀を持ったまま立ち尽くしていた。中身は既に、盆にぶちまけて空であった。

 

 民放の中には、事実を伏せ ” タチの悪い悪戯 ” として、Blog の模様をワイドショ−で放送している局もあった。写真と名前には目隠しする配慮を忘れなかったが、

それらが騒ぎの発端となったのである。尤もそれは、このセンセ−ショナルな事件の幕開けとして犯行グル−プが周到に計算した上での事であり、狙い通りに最大限の

効果を発揮したのであった。大写しになった画面では、フラッシュに照らされた小田嶋が苦悩の表情を浮かべていた。

つづく

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