ファン・クラブ

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序章

1

2004/ 6/29

 『 開演まで、あと1時間を切りましたね・・・ 』

煙草を横銜えした飯田は、袖に立つ桐島にも KENT を差し出した。掴みかけた桐島は、手を止め言った。

『 いや・・・やめとこう 』

『 おや、まさか緊張なんてしてませんよね?』

わざとらしくフカした飯田は、旨そうに目を細める。

『 そうじゃないさ。感覚を研ぎ澄ましたい。それに、火の気は厳禁だろ? 君だって立場上、まずいんじゃないのか?』

そう言うと桐島は、クジ棒の様に飛び出した煙草を人差し指で押し戻した。飯島は、この ” ファイナル・コンサ−ト ” の

フロア・ディレクタ−であった。

『 さすが、桐島さんだ。アタシはね、さっきから震えが止まらないんですわ・・・ 』

飯田の仕草が可笑しくて、桐島は吹き出した。飯田が銜えている煙草をもぎ取ると、手のハンカチに灰を落とし深く吸い込む。

[ 味がしない・・・しかし、覚醒してゆく手助けにはなるかも知れんな・・・ ]

『 緊張だったら、ボクだって負けはしないよ。何たって、世紀の大歌手が引退するんだ。必死で取り繕っているんだよ・・・ 』

その言葉に、嘘は無かった。

 緞帳の隙間からスタジアムを窺う飯田の背に、言う。

『 どうだい、入りは?』

飯田は、無言で振り返る。

『 ハハハ・・・』

『 何だい?じれったいな・・・』

『 いや、ここは 6万入るんですけどね、大方、埋まってます・・・』

『 入ってるかい。ま、チケットの売れ行きから、分かってはいるんだけどね?』

『 それが、皆、押し黙っています。たまに、口笛が聞こえるだけですよ。分かるなぁ・・・複雑なんですよ、みんな 』

それで 桐島は、合点がいった。珍しく動揺する理由は、それだったのだ。開始時間が迫るのと同調して、喧噪も押し迫って来る。

その盛り上がりが、無いのだ。忙しく走り回るスタッフを避け、機材が入ったケ−スに腰を下ろした。

『 じゃ、私もこうしちゃ居られないんで・・・』

走り去る飯田を見送りながら桐島は、水澤 瞳との出会いの当時を想った。

 

 平成 6 年 7月。

桐島は、灘プロ恒例 ” タレント発掘シルクロ−ド ” の準備に追われていた。東洋と西洋の出会う道。ジャンルを問わない

逸材発掘のツア−を称して、社長の神崎はそう呼んだ。

『 どうだい、桐島くん。今回は、いい出会いがあるといいんだがな・・・』

トレ−ドマ−クの蝶ネクタイにパイプを燻らせながら、スケ−ジュ−ルに目を通す桐島に訊いた。

『 そうですね・・・社長は、どう思われます?』

『 オイオイ、スカウトのプロが、自信なさそうじゃないか 』

パイプを二度吸い、神崎は意味ありげに笑った。プロダクションの社長と言うより、どこか学者然とした男である。見掛けだけではなく、

頭の切れと人材を見抜く目は、図抜けていた。新興のプロダクションの者など、本気で ” せんせい ” と呼んだ。

『 ” トレンド ” は何かね?』

[ 来たな!]桐島は身構えた。出陣前の、指さし確認である。企画段階では一任してくれるが、最終でのこの一言。

社運を、桐島に問うのであった。

『 ”心に残る ”、ですかね? 臭い言い方ですけど・・・』

ビ−トだけや、アメリカの亜流ばかりが巷には溢れている。エンジニアの実験の様な楽曲もある。ロックの基本は不変であると思うのだが、

何不自由なく育ったくせに、流行だけでスラムを語る輩には虫酸が走る。

[ 最早、俺もロ−トルなのか?・・・いや、違う。良くも悪くも歌は、心に残り訴えるものであると思いたい。歌は、人を殺しもするし、

生かすものでなければならない。己を諫める時、鼓舞する時、そこにある歌でなければならない。自分の子供に語り継げる歌を唄う者 ]

時代はようやく、それに気づき始めている。桐島なりの確信があった。

 『 ふむ・・・いいね、” 心に残る ” か。今のウチには、堂々とそう言えるのは君しか居らんよ。皆、” ポスト○○ ” だとか、そんなん

ばっかりだ。オレもね? 所属タレントの歌、唄えないのよ 』

灰皿を派手に鳴らし、神崎はパイプの灰を落とした。

『 はあ・・・ 』

『 いいじゃないか、それでいこう!』

『 はい 』

桐島は、一つ荷が下りた気がした。ま、新たな荷に替わるだけなのであるが、準備が整った事は事実だ。

『 ” スタ−候補 ” は、居るかい?』

『 そうですね・・・ 』

リストに目を落とした。” 発掘 ” には違いないが、お膳立てはある程度出来ている。地方在住のスカウトや、提携している

テレビ局がふるいに掛けるのだ。しいて言えば、こちらの思惑とのギャップが面白い。醍醐味とも言える。しかし社運が掛かっている以上、

楽しんでばかりも居られない。

『 私、デモ・テ−プは聴かない主義なんでハッキリした事は言えないんですが、変わり種は何人か居ます。

社長、今年も ” ぶっつけ ” で行かせて貰えませんか!』

返事を待つまでもなかった。神崎は立ち上がるとブラインドを開け、陽光に目を細めた。

『 暑くなりそうだな、今年も・・・。磨きの砥石を用意して待っとるよ。体には気を付けたまえ 』

出発の時は来た。


2

2004/ 7/23

 桐島は、浮かぬ顔で書類に目を通していた。煙草の数ばかりが嵩む。

眼鏡を外し、階下を眺めた。発光した外界とその熱を、分厚いガラスが嵌め込まれた窓は完全に遮断していた。

手をかざすと、ひんやりとした感触が伝わってくる。

[ これじゃ、自殺など出来ないな・・・]

勿論、そんな気持ちは微塵も無いが、まるで真空の容器に封じ込められたかの様な感覚に息苦しさが重なり、

期待に副えるかという重圧からふと、そんな想像をしてみたりする。

 関東ブロック予選結果。原因は、その審査書評であった。

エントリ−に際しては、 参加者は一応、業界のプロ達に篩いに掛けられている。しかし、プロダクションの意向とは裏腹に

業界人達は、時代の先鋒へとの思いに先走っていた。皆、一応の基準には達している者達であったが、聴いて桐島は、

何も感じる事が出来なかった。歌は確かに上手い。中には、今すぐにでもプロで通用しそうなレベルの参加者も居た。

[ テクニックはまあ、そこそことしよう。加えて、訴えかける情念の様なものが感じられたらな・・・]

『 無理もないか・・・。今や、食うに困るって時代じゃなんだからな 』

最近の例として、ライタ−は少ない。煙る部屋を掻き分け、イベント・ディレクタ−の吉積 早苗がコ−ヒ−を持って現れた。

『 どうしました? 浮かない顔ですね 』

桐島はコ−ヒ−を受け取ると、代わりに書類を手渡した。吉積は [ 十分、目は通してある ] と言いたげであるが、再読する。

  訳あって音大を中退し、その後クラブのホステス経験もありという経歴を持つ。経歴と言えば大袈裟だが、その確かな理論と

世俗経験という武器を以て、桐島の右腕として無くてはならない存在である。立派な経歴だ。

 腕を出すのを嫌う彼女は、半袖のシャツを着ない。理由はあった。左の肩口に、龍のタトゥ−があるからだ。昔、入れ込んだ

男の名にちなみ彫ったものだそうだ。以前、大酒を喰らい酩酊した折り、勢いに任せて桐島にうち明けた事があった。

ジ−ンズの上に羽織ったシャツの袖を捲り、再び桐島を見る。

『 どう思う?』 桐島は訊ねた。

『 書評に、間違いはないですよ。” もしかして ” って子も、何人かは居たんじゃないかしら・・・』

『 いや、評はボクも認めるよ? たださ・・・[ お前は ” 歌手 ” になりたいのか? それとも、有名になりたいだけか?]って言うか・・・ 』

吉積は机へ書類を放り投げるとコ−ヒ−を啜り、片方の眉をつり上げた。”?”

『 フフフ・・・』

『 何だい!』

『 ま〜た、難解な悩みですね?桐島さんらしい 』

『 ・・・でもさ、この、この坊主・・・ ” 夢は世界制覇 ” って、こりゃ何だい?』

吉積は、笑い出した。

『 そのセリフ・・・私、父親を思い出しちゃった、アァ〜可笑しい。そりゃ、今年のテ−マは聞いてますよ。でも桐島さんは、人格者の

スカウトに来てるんですか、それとも歌手?』

『 ま、言ってみりゃ、” 人格を持った歌手 ”、だよ!』

『 ハハッ、オペラ座でも探して下さい!私、音合わせに行って来ます 』

ジ−ンズの尻を手で叩くと、吉積は部屋を後にした。

ソファ−の背もたれに大きく体を預け、桐島は天井をボンヤリと眺めた。

 

 楽屋へ向かおうとした桐島は、呼ばれた方へと振り向いた。

『 マネ−ジャ−・・・』

純白のイヴニングドレスに身を包んだ、水澤 瞳であった。開演、20分前である。

『 ” 桐島 ” でいい・・・って、前にも、おんなじやり取りがあったよな?』

『 ホント、あの時も、始まりもこんな感じだった・・・』

微笑む瞳の頬を、涙が伝った。

『 瞳ちゃ・・・あぁ、失礼!桐島さん・・・』

ディレクタ−の飯田が駆け込んで来る。桐島に向かい、時計を指さすジェスチャ−をした。

『 瞳?スタッフに気を揉しちゃいけないよ。顔を見に行こうと思ってたんだが、色々あってな・・・でも、君の方から来てくれた 』

桐島は瞳の髪飾りを直し、ドレスの皺を払った。

『 アタシ・・・』

瞳は、唇を噛んだ。

『 何も言わなくていい。言う必要なんか、無い。 6万を超えるお客さんが待ってるんだ。その想いを、歌って来なさい 』

『 ・・・はい 』

面を上げた瞳は、緞帳を見つめた。降臨の瞬間だ。

差し出した桐島の手を、瞳は両手で包み込んだ。洩れるライトを受け、薬指の指輪が光を放つ。

桐島は、いつものセリフを言った。

『 さあ、聴かせてくれ!』

飯田は、瞳を促した。


3

2004/11/17

 『 皆さん、今日はホントに、ありがとう・・・』

エコ−を伴った瞳の声は、スタジアムに響き渡った。歓声と言うよりも、 引退を惜しむ声が多く返る。一部には、号泣している

ファンもいた。瞳が 再びマイクを口元に近づけると、それらの声は止み静まり返る。大きく息を吸うと、全ての物音が消えた。

三原色のスポット・ライトが ドレスの胸で交差し、瞳の顔を白く浮かび上がらせる。

『 皆さん既に・・・ご存じですよね?』

照れ笑いしながら小首を傾げた瞳の頬を、涙が伝う。観客達は思い思いの言葉を口にした。それが津波の様に押し寄せる。

ステ−ジの袖に佇む桐島には、スタジアムの息吹に聞こえた。

 瞳は、ドラマや映画での共演俳優、嶋 邦彦 と結婚する。

新進俳優の嶋と ” 平成の歌姫 ” と謳われた瞳は、純愛路線のドラマで数多く共演した。ジュニア小説そのままのスト−リ−と、

甘く初々しいの二人のキャラクタ−は、上手くマッチした。続編が続編を呼び、設定は違えども二人の純愛は続くといった傾向は、

芸能史に一時代を築いたのだ。

 世俗にまみれた大人達は、イメ−ジを損なわない様、” ピュアな素材 ” 探しに腐心した。最も苦労したのは、構成作家や脚本家であった

と聞く。情報が氾濫しあらゆる既成概念が打破された今日、民衆の心を掴む素材探しは、文明に必須であるレア・メタル発掘の如く

困難を極めた。手詰まりになると彼等は、古典にまでその触手を伸ばしたのである。そうした脚本が嫌味にならなかったのは、二人の

ルックスに因るところが大きい。正当派の二枚目である邦彦に対して、一見、身近にいそうな美人で、実はそうではない気品と哀愁を

湛えた瞳。この二人の雰囲気が相まると、” メロ・ドラマ ” だと一笑に付される演出も、” アリ ” となった。

 民衆の心を鷲掴みにした二人には、ドラマ・映画の企画が目白押しだった。

ティ−ンエイジャ−はドラマの展開を学校で語り挨拶代わりとし、娘の前では鼻で笑う父親達も、帰宅途中の一杯呑み屋で、瞳に初恋の

相手を投影したりしていた。下世話な放送枠を持っていても、二人の作品を放映する事によってそれら全てが浄化される。

そんな幻想を各局は抱き、こぞってその列に並んだのである。

 間奏に乗せて、瞳が言う。

『 まずは、この曲を。若い方からお年寄りまで、多くの方が一番好きだと言って下さいます。” この路の向こうに ”・・・』

叙情派のア−ティストから提供された、JRのCMとタイアップした楽曲名を告げた。

歓声に包まれた瞳は、深々と頭を垂れる。秋色のスポットが、彼女を包んだ。

 

 吉積から差し出された瞳の経歴書を見た時のその驚きと、ほろ苦い感情を桐島は忘れる事が出来なかった。

『 目標とする歌手が [ 美空 ひばり ] はまぁ、分からんでもないが・・・将来の夢が、[ 家計の助けとなり、母に楽をさせる ] か・・・』

吉積は無表情を装ってはいるが、桐島の反応に興味津々である事が窺える。隙の無い緻密な女ではあるが、返って仕草は分かり易い。

『 基礎は、しっかりしていますよ、その娘 』

『 そうか・・・』

『 古いナンバ−を歌って、地元の のど自慢は総ナメです 』

視線を避ける為、桐島はコ−ヒ−に手を伸ばす。一口・二口啜るが、堪りかねてカップを置いた。と、頬杖を付いている吉積に顔を近づける。

知らない者が見たら、このまま口づけでもすると思うだろう。

『 で、何が言いたい?』

待ってましたとばかりに、吉積はメンソ−ルの残り香と共に言った。

『 エントリ−、いいですよね?』

『 そりゃ、落とす根拠はボクには無いよ・・・』

『 よかった!』

背を戻した吉積は、メンソ−ルをチェ−ンする。

『 君が買ってるんだ。相当の娘なんだろうさ。買ってるんだろう?』

『 分かります?』

『 ・・・ 』

これだけ分かり易い女も少ない。それを本気で惚け仰せると思うところが、この女の女たる所以だ。

 『 見た目、地味なんですよ・・・』

『 オイオイ・・・ボクぁ別に、派手好きじゃあないぞ?』

『 中音域が通る、いい声してるんですよねぇ。でも・・・売り出し方が難しいかも 』

『 と、なると・・・男はカラオケで唄えない、か。母子家庭なのか。それで、家計を助けたいと?』

『 そうそう、キ−が合わせづらいですからね。はい、今時、珍しい娘です 』

家庭環境など、問題ではない。経歴書を信じる限り、モチベ−ションはある訳だ。15才の割には、大人びた顔をしている。

『 三田 仁美、か。早く聴いてみたいな・・・』

桐島は、吉積のメンソ−ルを一本、失敬した。


4

2005/ 2/25

  ” タレント発掘シルクロ−ド ” 関東ブロック決勝。

桐島は、吉積の言葉が頭から離れなかった。普段はドライな彼女が、” 三田 仁美 ” について熱く語った。

” 音楽のプロ ” と言うより女、女性としての個体に興味をそそられるらしい。女としても茨の道を歩んで来た吉積である。

その勘に、間違いは無いだろう。音響の調整作業が続く中、桐島は思った。

[ もし、彼女の目に狂いが無ければ・・・その通りの逸材なら ]

『 残る ” 東北 ” は、キャンセルしてもいいな・・・』

それを聞いたフロア・ディレクタ−の飯島は、イン・カムを押さえながら問い返す。

『 ハイ? ” 残り物には福がある ” と?』

『 ん?』

桐島は、溜息と共に俯いた。

『 君は、どう聞いたら、そう取れるんだね?』

『 いえ、” 残り ” が、どうとかこうとか・・・』

桐島はとうに放り出してあった自身のイン・カムを掴むと口に近づけ、噛みしめる様に言った。

『 ディレクタ−は、作業に集中する様に!』

飯島はバツが悪そうに頷くと、作業に戻った。

『 オイ、 2番・3番、ハウリングしてるぞぉ?・・・』

 

 祖母から仕込まれた民謡が自慢の少女。そのプロ顔負けのこぶし回しには、舌を巻く。

リズム感は文句ナシだが、歌を披露したいのかダンスなのか、いまひとつハッキリしない若者。

それぞれが自前の応援団から、やんやの喝采を浴びた。司会者のインタビュ−を経た後、専門分野の審査員達による批評に晒される。

が、強烈な ” ダメ出し ” は、慎重に避けられた。最近の風潮だ。いやハッキリと、社の方針でもあった。

仮にも予選を勝ち抜いて来た者達である。その自尊心を傷つける事無く且つ、納得のいくアドバイスを心がけた。それらが的確であり、

落選した者にとっても将来の指針となった。故に、灘プロ主催のコンテストは本格派に人気があり又、権威を維持しているのである。

背後に居る吉積が、桐島の背を突いた。いよいよ三田 仁美の登場だ。

 腰に ” 7番 ” の番号を付けたは仁美は、静々と現れた。

成る程、吉積の言うとおり、端正を通り越して地味な印象だ。経歴書の写真だけでは分からない雰囲気を、吉積は伝えたのだ。

『 三田・・・仁美といいます。15歳。歌は、” ジョニィへの伝言 ” 』

前奏が始まった。

[ 15歳で、”ジョニィへの伝言” か・・・ ]

最期の時に掛け、恋人を待つ女。しかし、相手は現れない。そうなる事は分かっていたし又、逢えたとしても、後の別れを悟っていたかの

如き心情が窺える名曲だ。年齢が歌を左・右する訳ではないが、この ” 訳あり女 ” の旅立ちを、少女がどう歌い上げるのだろう。

「 ジョニィが来たなら 伝えてよ・・・」

聴く内、桐島は自身の考えを表現する言葉を失った。吉積を振り返るが、腕を組んだまま目を閉じている。

「・・・上手く 伝えて 」

 『 どうでした?』

背後から吉積が問いかける。耳元と言うより首筋に近い所へ息が掛かるので、桐島は眉をしかめた。この女は時々、こういう悪戯をする。

歌を終えた仁美は、審査員達の批評を聴いていた。

『・・・いや正直、驚いたよ・・・』

『 で?』

『 成りきってるな・・・』

『 んもぅ、歯切れがわるいな。桐島さんらしくないですよ!』

『 済まん・・・いや、勿体ぶってる訳ではないんだ。・・・ど〜もこの、ボキャブラリ−不足で申し訳ない 』

『 フフフ・・・』

『 なんだい 』

吉積は、イン・カム外した。

『 正直、私も、最初は上手く表現出来ませんでした。桐島さんならこう、ズバッと表してくれると思ったんですけど、誰でも同じ印象を持つんですね 』

『 買いかぶり過ぎだよ、そりゃ。一言で言うなら・・・』

『 ハイ・・・』

『 上手いかどうかなんて次元は、とうに超えている。あの娘は、” 無垢 ” なんだよ 』

『・・・』

『 楽曲に、いかようにも染まれるんだ。その直前までは、無垢なんだよ。自分に対しても無頓着。それが ” 地味 ” に見えるんだろう 』

『 染まる、か・・・』

『 つまりそれは聴く者に感情移入させ、最期には共感を湧き起こさせるんだな 』

『 なるほどね 』

『 その内、涙を流すんじゃないかと思ったよ 』

『 甘いですねぇ、桐島さん。ああいう場合、女は、泣かないもんですよ 』

桐島にとって目下の課題は、残るエントリ−に神経を集中させられるかどうかだった。


5

2006/ 1/ 4

 口をへの字に曲げた神崎は、パイプを銜えたまま椅子を背後へ向けた。

窓外のギラつくビル群を眺めると、頬に溜めた煙りを ” フゥ〜 ” と吹き出す。椅子の向きを、桐島に戻した。

『 なるほど。で、本命は一人なんだね?』

長い儀式を眺めていた桐島は、考え抜いたこれ以上ない言葉を返す。

『 はい 』

『 そうか・・・』

神崎はパイプの中身を灰皿に空け、桐島を見るとニヤリと笑った。

 『 ま・・・君の意気込みと、その娘に懸ける情熱は認めようじゃあないか 』

『 何とも申し上げようが・・』

『 ハハハ、早まっちゃいかんよ 』

”やはり”、桐島は思った。自分を買ってくれ故に、絶大な信頼を寄せている神崎は、桐島の意見に異論は無いのだろう。しかし、ただでは

転ばない男でもあった。ましてや、社の威信が係った事業である。そう簡単に退く訳がない。自らのゲ−ムを、簡単に投げる男ではない。

『 ”キャラバン” は、続け給え 』

『 はい・・・』

『 うん、決めた。残るラウンドで、その娘に匹敵する者を選びなさい。いやこの場合は、”発掘” なんだな 』

『 社長・・・』

『 ”ユニット”・・・んん、”好敵手の併走”か 』

『 ユニット、ですか 』

『 まあ、ユニットに拘らんでもいいさな。ただね、”噛ませ犬” にするんじゃあないぞ?』

『 ”併走”、か。・・・はい 』

『 どうかね、君にとっちゃあ、チョットした試練、違うか?』

『 デビュ−出来ても、安泰にはならない、ですね?』

『 んん 』

『 大仕事になりそうですね。燃え尽きて私、カラカラになるかも知れませんよ 』

『 アハハハ、何を言ってんだい。そりゃ、私の方が先だよ。若いんだ、バリバリ行きなさい 』

桐島は、脇の汗がヒンヤリするのを感じた。

 

  ところが、夏の喧噪も終わりを告げる頃、日本各地で執り行う予定であったキャラバンは、期間途中であるにも拘わらず異例の終了を迎えた。

熟考の末の、苦渋の決断であった。理由は明快である。総合プロデュ−スの桐島が、代わりが思い浮かばぬ程の逸材を見つけてしまった

からであった。三田 仁美である。

 灘プロ社長の神崎は終始無言であったがしかし、桐島に寄せる全幅の信頼を見失う事は無かった。

しかし、ユニット若しくはシナジ−効果を狙う施策の遂行は、最後まで譲らなかった。三田 仁美の他、関西と東北のブロックから

一人ずつ、各プロデュ−サ−推薦の候補者を入賞としたのである。東北各地の民謡コンク−ルで賞を総ナメした実力を持つ山根 聡子、

日本人離れしたダンスセンスでストリ−トパフォ−マンスを中心に活躍し、既にインディ−ズでは注目されている新座 亜紀の二人だ。

共に予選ではその片鱗をいかんなく発揮し、高評価を得ていたのである。

 各自キャラクタ−の違いに頭を抱えた桐島ではあったが同時に、神崎の親心を強く感じていた。

桐島のプライドも燃え上がった。素材の魅力は、三者三様に素晴らしい。生かすも殺すも、桐島のプロデュ−ス次第である。

自らの我が儘を聞き入れるだけではなく、より高みに上げるべく試練を与えてくれる神崎は、桐島にとって無双の師であった。

 これを期に灘プロは、長年、新人発掘の柱としていた ” キャラバン ” を止めると記者発表をした。

社の命運を託すタレントの発掘 に、ともすれば ” 歌謡コンク−ル ” と成りかねないキャラバンは相応しくない、という英断を下したのだ。

各プロデュ−サ−の手腕を信じ又、彼等の先を見通す目を養う為にも既成の概念を排すると、世間を説いた。

 [ 散々、世間を煽った挙げ句にこれか!]、[ これを目指してレッスンに励んでいる若者達に、どう説明するのか!]、というマスコミに批判に

対し社長の神崎は・・・

『 ご批判は、甘んじてお受けします。しかし、その先頭を走っていたと自負している我々が言うのも何ですが、今のままのやり方では、

短命で使い捨てのタレントを増産してしまうと、そう気が付いたからに他ならない事をご理解頂きたい。近年のキャラバンを通して思うのは、

” 流行の後追い ” や ” 信念の無い模倣 ” の多さです。” 売れる線 ” を纏うことで皆、登竜門を飛び越そうとしている様に見えます。

そういうタレントは簡単に ” 流行遅れ ” となり、修行を挫折と捉えてアッと言う間に、潰れます 』

神崎の鬼気迫るコメントに、記者達は茶化しの質問を止めた。

[ まぁ確かにな・・・三食喰って親の脛を囓っている連中が、なぁにが ” ラップ ” だよって正直、俺も思うよ ]

記者の一人は、誰にともなくそう呟いた。

『 我々としては、本人さえも気が付いていない才能を持ったタレント、原石を発掘したいのです 』

神崎がそう言い終わると、桐島は目を閉じた。


6

2006/ 1/15

 『 ・・・で、桐島さん? まさか、泣いているんじゃないでしょうね?』

吉積 早苗に肩を小突かれ、袖の桐島は我に返った。例によって吉積の顔は、口づけしそうな勢いで接近していた。

もう慣れっこだと思っていた桐島も、完全に意表を突かれた形だった。ステ−ジでは瞳に加え、同時期にデビュ−した山根 聡子、

新座 亜紀が駆けつけ華を添えた。スクリ−ンに大写しされた当時の映像をバックに、トリオではしゃいでいた。

 『 瞳のファイナル・コンサ−トで、僕が泣くと思っているのかね?』

この女に、桐島の強がりは通用しない。

『 勿論! 飯田さんも気を遣ってらしてよ? ” 考え込んじゃってる ”って 』

『 あの男また、余計なことを・・・』

『 アラ、いいじゃないですか、当然ですよ、手塩に掛けた ” 歌手 ”のファイナル なんだもの。それとも、文字通り ” 嫁に出す父親の心境 ”

なのかしら?』

『 ヘン! チョットそのさ、昔に想いを馳せていただけさ。それより君、進行の方は抜かりなく・・』

『 ” 完璧 ” です!怖いくらいだわ 』

吉積は進行表を丸め、頭を掻く真似をした。

『 だろうね。君が係わったイベントで、ミスがあったことはない 』

『 光栄ですわ、お父様!』

『・・・』

『 あ、そうだ!』

『 何だいっ!!』

『 号泣する時は言って下さいね? デジカメに収めて、社のブログにアップしますから!!!』

桐島は、苦笑いしながら吉積を手で追いやった。

 

  ファンの歓声の中、瞳はマイクを取った。

『 時間が流れるのは速いもので、次で最後の曲となりました。新しい門出なので、最後まで泣くまいと思っ・・・ 』

[ ヒトミぃ〜泣くな〜 ]、[ ヒ〜ト〜ミっちゃ〜ん!]、[ 泣かないでぇ〜 ]

嗚咽を堪えて面を上げる。無理に笑みを作るが、それが却って涙を溢れさせた。

 『 皆様の前ではありますが、この場を借りてお礼を言いたい人が居るんです・・・ 』

『 やめろって!』

それを聞いて袖から離れようとした桐島を、脇から吉積と飯田が押さえつけた。

『 こちら、対象捕獲。スタンバイ、オ−ケ−!』

照明担当に指示を出す。神崎が、パイプを燻らせながら笑いを堪えていた。

『 色々、我が儘を聞いて下さった社長・・・ 』

聞いて、神崎も血の気が引く。だがもう遅い、飯田に腕を捕まれていた。

『 こちら飯田、” ダブル ” でオ−ケ−!』

『 そして、私を一人前の ” 歌手 ” にして下さった、桐島マネ−ジャ−!』

瞳が袖の方を仰ぐと、ピン・スポットが緩やかに交差する。桐島と神崎は顔を見合わせた。が、しかし、どこで用意したのか神崎は既に、

大きな花束を抱えていた。

 [ 社長ぉ〜 ]、[ いいぞぉ〜社長〜!]

花束を瞳に渡した神崎は、ファンに大きく手を振りながら早々に袖へと引き上げた。取り残された桐島は、瞳に促されてマイクの前に立った。

瞳の成功と共にメディアに取り上げられたので、桐島の顔は売れている。

『 え〜・・・皆様に愛された水澤 瞳のファイナル、いや、新しい門出の場にこうして居られる事を、光栄に思います 』

[ 桐島さぁ〜ん、頑張って!]

タイミングを外した声援が目立ち、スタジアムを湧かせた。

『 すいません、裏方がこんなとこまで・・・ 』

横を見ると、瞳が大きく頷いた。

『 ・・・既にご存じの通り、瞳は嶋 君と結婚し、今日のファイナルを以て芸能活動から引退します。” 三田 仁美 ” に戻る訳です 』

スタジアムは、静寂に包まれていた。気付いた桐島は、声のト−ンを落とした。

『 ですが、これまでの楽曲を通し深く、皆様の胸に残るシ−ンであったと確信しています。企画にも気を遣いましたが何より、瞳の歌唱に

そうする力があった事を、私は忘れません。段々、女々しくなりますので、この辺で。瞳、おめでとう!』

 瞳が再びマイクに向かうと、この日の為に用意した曲のイントロが始まった。

『 僕が紹介していいのかな?』

瞳は満面の笑みを返す。

『 それでは、” 国境の駅 ” 』

スポットと一緒に、桐島は消えた。

” 差し込む光とざわめきが私の髪を撫でた時、汽車が大きく溜息をつく

向かいの席に、貴方はいない

そうこれは、愛しい人へと向かう列車

 旅の終わりそして、始まりの街で・・・”

 コンサ−トが終了してもファンは中々、席を立たなかった。

午後10時にコンサ−トが終わり最後の観客がスタジアムを後にしたのが翌、午前2時。機材の搬出とは別に、スタッフ総出での片づけは

今も続いている。打ち上げは、無い。次は披露宴で顔を合わせるであろう瞳に今、桐島は掛ける言葉が見あたらなかった。

スタッフに挨拶を済ませると、スタジアムを後にした。

 

 水澤 瞳の新曲はまず、有線から火が点いた。

これは、飲食客は素より、そこに働く従業員達からの支持も意味している。あっと言う間に登り詰め、CDの売り上げが後を追った。

邦画界の衰退と共に映画への出演は無くなったがこの間、ドラマやCFなど、水澤 瞳はメディアを席巻した。

 それらの曲は、瞳自身にも演出はあったろうが、聴く者達の様々なイメ−ジを喚起した。

歌の文句に ” 列車 ” とあればそのイメ−ジは固まるが、テ−マが ” 旅 ” であった場合、ある者はジプシ−の踊り子を連想し又、ある者は

傷心を癒す女の一人旅を想う。どちらも、心情的には共通点が窺える。ジプシ−の踊り子であったって、色々な事で傷心しているはずだ。

旅から旅で終着を知らぬ人生、それそのものに傷心しているのかも知れぬ。

 これを可能にしたのが、情感溢れるメロディ−ラインだ。

作曲家は素より、桐島や吉積は吟味に吟味を重ねた。そして、瞳のイメ−ジに重なる共通項として堅持したのは、” 望みを捨てない ”、

希望というキ−ワ−ドであった。旅情的なメロディ−で始まり、苦難を乗り越え明日の希望へと繋ぐ。聴く者達に、” 今日を生き、明日に託そう ”

との思いを抱かせる。どんなに素晴らしいアトリエや画材を与えられても、ア−ティストが未熟では成功はない。

瞳はこれらを吸収し、思惑以上のパフォ−マンスを実行した。

 バブル崩壊以降、先行き不透明な世の中にあって瞳の曲は、ジャンルを選ばず支持され続けたのであった。

茶の間、働く女達、男は男で感化され、周りの女達を気遣った。疵を追った人々、夜に働く孤独な者達。引退、結婚に際しては、非公式ながらも

皇室関係者からもコメントが寄せられた。

 デビュ−してからの10年間で、出したシングルは23枚。ベストを含むアルバムが5枚。アジア各地にも輸出されたそれらの総数は実に、4000万枚強。

メディア出演他、興業収益の総額は何と、2000億円に迫った。瞳は文字通り、” ドル箱スタ− ”  であった。最早、死語になりつつあるこの言葉も、

瞳の場合、的確に形容していた。

 

 瞳の活躍は、株式会社 灘プロダクションを東証・大証の一部上場に押し上げる、強力な原動力となった。

引退によりその業績を危ぶむ声が内外からあったが、神崎も桐島も、瞳の決断を最初から受け入れた。老舗ではあったが、一介の芸能プロダクションが

” 一部上場企業 ” にまで登り詰めたのである。これ以上、望むものなど無い。残された財産を生かすも殺すもそれは、神崎を始めスタッフ達が負うべき

責務に他ならない。

 水澤 瞳 と 嶋 邦彦の結婚式は、” 全国民 ” が見守る中、絢爛に執り行われた。

彼等を真似た訳ではないのだろうが、逡巡していた ” 結婚予備軍 ” 達は、俄に活気づいた。各地のブライダル産業は息を吹き返し、微細領域ではあるが、

この年の国民総生産を押し上げた。エコノミストがこの話題に触れるにつけ、” 水澤 瞳 効果 ” は決定的となり同時に、伝説化したのである。

 引退後、瞳は一切、表舞台に出る事は無かった。

スキャンダルの匂いもしない彼等にしかし、芸能各紙は強引に群がった。大衆は、興味本位よりも偶像の維持を望み、そんな取材合戦には批判的であった。

業を煮やしたマスコミは、二人の第一子誕生を機会にここぞとばかりに囃し立てた。だが、そこにあるのは平和な親子像そのものであり、後ろめたさを感じた

彼等は徐々に、介入する事を止めた。極、たまに、目線入りの子供の顔を掲載する写真週刊誌があったが、他人の幸せをブチ壊すその行為に世間は

背を向けた。時代の流れと共に興味の対象も移り、ゴシップが売りの彼等は廃刊に追い込まれるに至ったのである。

 復帰を望む声は毎年の様に揚がったが、瞳のリアクションは無く又、神崎も桐島も、瞳に問うつもりすらない。

広告代理店からのCF出演の依頼は、引きも切らない。3億とも5億とも言われる契約料を提示する企業もあったが、瞳サイドは誰一人、耳を傾ける者は

居なかったかった。本物の ” スタ− ” は、活動の終わりが全ての終わり。ズルズルと世間に未練を残さず、伝説として生きながらえるのだ。

故に、人々の心に残り、語り継がれていくのである。

[序章] 終わり

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